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イギリスメイ首相パリで会談オランド大統領EU離脱期間に理解だが移動の自由は

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Canary Wharf(カナリー ワーフ)

 

7月21日、フランスのパリで、イギリスのメイ首相とフランスのオランド大統領が会談しました。

 

会談では、メイ首相は、前日に行われたドイツのメルケル首相との会談内容同様に、
イギリスのEU離脱交渉は年内には開始せず時間がかかること、人の移動をコントロールし単一市場を目指す意向を述べたのに対し、フランスのオランド大統領は、イギリスのEU離脱交渉に対しては、「準備には時間が必要だが、より早いほうがより良い。」と述べました。

 

また、オランド大統領は、イギリス首相とともにエリゼ宮殿で行われた共同記者見では、EU離脱というイギリスの決定を尊重すると述べた上で、新しい関係について交渉する時間に関しては、「フランスにとっては、より早い方がより良い。」と述べ、「交渉前にあたって議論や事前交渉は出来ないが、我々もちろんこういった交渉準備は可能であるし、イギリス政府が樹立したばかりであり、時間を必要としてるのは理解できる。」と、一定の理解を示しました。
しかし、一方で「不確実なものは、多大なる危険がありまた、イギリスが人の移動の自由を受け入れたならば、単一市場へ向かうことが出来る。」とフランスの議論を繰り返しました。


「それが、イギリスが直面している選択である。~単一市場を維持し、それに合せ移動の自由を取るか別の立場をとるか。それが交渉の課題になるだろう。」と。

「もしも人の自由な移動がなければ、物の移動の自由、資本の自由な移動、サービスの自由な移動はあるはずがない。その他を切り離すものは何もない。」とも述べ、「移動の自由」に関しては一貫した立場を取っており、この点に置いてイギリスにとって交渉が難しくなるでしょう。メイ首相の手腕が問われるところです。

 

参考:BBC News

www.bbc.com

 

 

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イギリスメイ首相就任後初ドイツメルケル首相と会談でEU離脱交渉は来年

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HARRODS TEA (ハロッズ ティ)

 

7月20日にイギリスのメイ首相が首相就任後初めて、外遊し、ドイツのベルリンでメルケル首相と会談しました。

 

この会談でイギリスのメイ首相は、「イギリスはEUを離脱するが、欧州の友人から離れるわけではない。イギリスのEU離脱には時間がかかり真剣で詳細な作業が必要だ。女性2人でとても建設的な議論を行うことができました。」と述べた上で、イギリスのEU離脱交渉は、年内には始めないことを改めて明言しました。

また、移民制限については、「国民投票からのメッセージの1つがEUからイギリスへの人々の移動にいくつかの規制をすることが重要だ」と述べ、EU側が単一市場に残るための前提条件とする「移動の自由」を受け入れない姿勢を改めて示しました。

 

この発言をうけて、ドイツのメルケル首相は、「イギリスが正式に離脱通告をしない限り、公式でも非公式でも交渉はしない。イギリスが離脱交渉を開始するまでに時間がかかることは理解している」と述べ、イギリスのメイ首相の見解に一定の理解を示し歩み寄る形は見せましたが、中途半端な状況が長く続くとは誰も望んでいないとこれまでの姿勢も崩さずでした。また、「イギリスは外交技術にたけているので、交渉には骨が折れるが、非常にエキサイティングだ」とも語っていました。

 

7月21日はフランスのオランド大統領との会談が予定されています。

時間をかけ有利な交渉に持っていきたいイギリス側と早期の交渉開始を求めるEU側とで、イギリスのメイ首相の手腕が試されることになりそうです。

 

イギリスの首相が決まり、安定ムードが漂う中、ポンド/円の為替レートも徐々に上昇傾向で、140円以上をキープしています。

7月21日現在 1£ = 141.49円

 

 

 

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日本の天皇陛下生前退位にイギリスも王室をもつ海外の反応と前例

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グリニッジ大学 (University Of Greenwich)

 

7月14日に日本では、天皇陛下が「生前退位」の意向を示されたニュースが報道されたことにより、海外でも注目されています。

天皇陛下が示された「生前退位」とはどういうことか

天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲るというものです。

皇室典範には、天皇の代わりに公務遂行する摂政を立てることについての規定はありますが、天皇の退位に関しては規定がなく、終身となり崩御時に天皇の位が移動します。

天皇陛下のご意向

82歳という高齢になられた現在も天皇陛下は、憲法に定められた国事行為や多数の公務をされています。天皇陛下は、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考えておられ、今後、大きく公務を減らしたり代役を立てて天皇の位に留まることを望まれてないということで、5年程前から宮内庁へ意向を示されていたそうで、そういった意向を皇后さまを始め、皇太子さまや秋篠宮さまも受けいれられているということです。数年内の譲位を望まれているということで、現在天皇陛下ご自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整がすすめられています。

 

天皇陛下は、昭和天皇崩御により、55歳で現憲法のもと初めて「象徴天皇」として即位され、現代にふさわしい皇室の在り方を求め新しい社会に対応し続け、公務量は昭和天皇の時代と比べると、大幅に増えているということです。

近年では病気を乗り越え、高齢になっても天皇としての公務は公平に行われることが大切だとし、公務を大きく変えられることなく務められています。

日本の最後の生前退位はいつ?

現在の皇室典範では天皇陛下の生前退位の規定がないもの、昔の日本では生前退位は行われていました。といっても、昔は現在のように象徴天皇という立場でなく、政治的にも介入していたので、生前退位することで権力を掌握し院政政治が行われていた時代もありました。明治時代に制定された旧皇室典範で生前退位が不可能になり、天皇位は終身と定められました。ですので、天皇が未成年の場合や、重大な病気などで国事行為ができなくなった場合は、現行法では、摂政を置いて、天皇に代わって国事行為を行うということは可能で、摂政就任順序は行為継承順位とほぼ同じでです。

1921年にご病気の大正天皇に代わって当時皇太子であった裕仁親王昭和天皇)が摂政に就任しています。

最後に日本で生前退位が行われたのは、第119代光格天皇が江戸時代後期1817年に退位し、その後約200年行われていません。

 

政府は

天皇陛下の「生前退位」のご意向を受け、日本政府も検討するものと見られますが、皇室典範の改正など様々に議論が必要との見方を示しており、7月15日の記者会見で麻生副総理兼財務大臣は「公務に非常に負担がかかるというのであれば、どう対応していくかは、政府で考えなければならない。」と述べました。
天皇陛下のご意向を実現するには、皇室典範の改正が必要となり、憲法との関係など天皇制の仕組みを変更することになるので、新しい元号の制定など含め慎重に検討しなければならず、相当な議論が必要と見られています。

イギリスの反応

この報道を受けて、海外メディアにも伝えられ、EU離脱や新メイ女性首相誕生など現在世界に影響を与えているイギリスでは、王室を持つということで速報として伝えられました。
イギリスの王室専門家の見解では、「仮に長きにわたり多くの公務をこなしているエリザベス女王が退位を示したならば、国民はその気持ちを十分に理解すると思うが、法律上混乱が生じ、女王退位となれば、イギリス議会の審議を経て、権限移譲が慎重かつ丁寧に行われる。」と述べています。

生前退位の諸外国での前例

海外の王室では、高齢や健康理由以外に、外国人女性と婚姻するために生前退位した例がいつくかあります。

イギリスの場合

現在、在位64年を迎え長く君臨しているエリザベス女王がいらっしゃいますが、その女王の伯父にあたるエドワード8世は、1936年にわずか11ヶ月の在位で退位しています。退位の理由は、2度の離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するために、弟のジョージ6世に王位を譲り、退位しました。
当時のイギリスでは、国王の自由意思による退位を規定した法律がなかった為、「1936年国王陛下退位宣言法」が制定されました。

オランダの場合

オランダでは、国家元首のベアトリックス前女王を含めて3代女王が続き、いずれも存命中に退位しています。このベアトリックス前女王は33年間在位しましたが、2013年に高齢を理由に退位を表明、長男のアレキサンダー皇太子が2013年4月に国王となり、123年ぶりに男性国王が即位しました。

ベルギーの場合

2013年、アルベール2世前国王が高齢や健康上の理由で退位し、長男のフィリップ皇太子に王位を譲り、2013年7月に即位。ベルギーでの生前退位は1951年以来2度目のことでした。

スペインの場合

高齢や健康理由の退位ではないですが、スペインでも前国王ファン・カルロス1世が2014年6月に生前退位しています。当時のスペイン王室は、次女のクリスティーナ王女の夫をめぐる公金横領疑惑などで深刻な権威失墜が懸念されており、前国王が生前退位を発表し、当時皇太子だった現国王のフェリペ6世に王位を引き継ぐことになった時、スペインには生前王位継承に関する規定がなかった為、
政府は退位発表からわずか2週間ほどで関連法を成立させました。

 

この数年のうちに元号が変わる可能性がでてきました。

2058年からやって来た未来人の原田さんによると平成の次の元号は「安始」らしい?!

イギリス議会国民投票やり直し請願410万殺到で9月に議論

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タワーブリッジ (Tower Bridge)

 

6月23日に行われたイギリスのEU離脱を問う国民投票EU離脱が決定したことを受けて、国民の間では、2回目の国民投票を求める請願がイギリス議会のHPに寄せられ、署名の数は410万件以上にも殺到しました。

 

イギリス議会の議論に取り上げられるには、50万件以上の署名が必要とされていますが、今回の2回目の国民投票を求める署名はゆうにこの数を超えており、政府も見過ごせなくなったようです。

 

とは言え、これだけの請願が集まりイギリス議会で議論されたとしても、実際に国民投票が再度行われる可能性が出てきたというわけではありません。
イギリス下院請願委員会は、「国民投票の再実施は支持しない。」と強調した上で、「これだけ多くの人が請願に署名した以上、本件は国会議員によって議論されるべきだと判断した。」とし、議論は、9月5日に実施すると発表しました。
国会で議論したとしても、法律の改正や国民投票のやり直しはしないという立場は明確にしていました。

 

イギリス外務省は、「キャメロン首相が6月27日下院で演説した内容通り、先の国民投票は3,300万人以上が投票したイギリス史上最も民主的な権利行使で、首相と政府は、投票前からこれが未来を決める一世一代の決断であることを明確にしてきた。首相が発表した通り、この結果は尊重しなければならない。」と声明を発表していました。

 

メイ新首相もイギリスのEU離脱という結果は「Brexit means Brexit.」と述べているので、国民投票のやり直しはないでしょう。
ただ、国民投票、イギリスのEU離脱、イギリス史上2人目女性首相誕生という出来事が、世界を揺るがし、イギリスの歴史を大きく変えることになったのは間違いない。

 

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首相官邸から去るキャメロン前イギリス首相。ネズミ退治任務のラリーは留任

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ラリー (Larry)

 

イギリス首相デービット=キャメロン氏は、7月13日に辞職に伴いロンドンの10 Downing Streetダウニング街10番地の首相官邸から去っていきました。

が、引き続き任務を任されているのは、首相官邸で飼われている茶色と白色の縞模様の猫である雄ネコ「Larryラリー」。

Larryラリーは、2010年にバタシーBattersea地区の犬猫保護施設から引き取られ首相官邸のネズミ退治という職務に任命されて以来、任務にあたっています。
ただこのLarryラリー、狩りには消極的なことで知られているそうです。
とは言っても、全く狩りができないわけでなく、今までにねずみを捕まえたり殺したりしたのは何度もあったということです。

キャメロン首相の後任で、13日に新首相に就任したテレーザ=メイ内相が最後の閣僚会議に現れた時、メイ氏の靴はヒョウ柄だったにも関わらず、動じずじっとメイ氏の顔を見上げていました。

内閣報道官は「Larryラリーは首相官邸の役人であり、キャメロン一家の一員ではないので、彼はここにとどまることになるだろう。」と語たり、首相官邸の住人が去っても彼は留任です。

 

首相官邸に出入りしていたメイ氏が今は、イギリスの新首相として首相官邸に来たことはわかるのかな。

 

 

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イギリス2人目女性首相誕生。メイ首相新内閣にはボリス=ジョンソン氏を外相に任命

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シティオブロンドン (City Of London)

 

イギリス史上2人目の女性首相が正式に誕生しました。
テリーザ=メイ氏は、7月13日エリザベス女王の任命を受けたのち、首相官邸に戻り就任後初の演説を行いました。演説内容には、「国民投票を経て、我々ははかり知れない変化の時を迎えている。Great Britainだからこそ、我々は困難に立ち向かっていける。EUを離脱し、国際社会において大胆かつ新しい、前向きな役割を築いていこう。」と述べ、また、国民の経済格差にも言及し、貧困層の平均寿命が短いこと、男女間の賃金格差、若年層の住宅購入の難しさ、アフリカ系国民に対してより厳格な刑事司法制度などを挙げ、「私が率いる政権は一握りの特権階級ではなく、全国民の為に機能する政府とする」と誓いました。


メイ首相はドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領と電話会談し、EU離脱交渉の準備には時間がかかると理解を求めました。

また、メイ氏はEU残留派としてキャメロン前首相を支持した立場を取っていたことで、与党内の融和を図り国民投票の結果を尊重する姿勢を示しました。

メイ首相は就任後、新内閣を発表しました。
財務相にフィリップ=ハモンド氏、内務相にアンバー=ラッド氏、外相にはボリス=ジョンソン氏、国防相にマイケル=フォルン氏、EU離脱担当相にデービット=デービス氏、国際貿易担当相はリアム=フォックス氏を任命。

驚いたことに、EU離脱派を率い次期首相候補とも言われていましたが、保守党党首選に突如不出馬を表明していた前ロンドン市長のボリス=ジョンション氏が入閣することとなりました。
EU離脱派だったということで、残留派との融和とEU離脱の手続きの一部を担う立場と見られます。

 

予定よりも早めの新首相決定となり、経済の影響などどうなっていくのか。
本日7月14日のポンド/円為替レートは、138.05円。イギリスのEU離脱が決定して以降、やや安定してきています。

 

 

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イギリス史上2人目の女性首相に就任したテリーザ=メイとは気になる人物像と経歴と結婚

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ナイキタウン オックスフォードサーカス駅近(Niki Town Oxford Circus Station)

 

2016年7月13日第76代イギリス首相に就任したテリーザ=メイ氏。
故マーガレット=サッチャー氏に続ぎ、イギリス史上2人目の女性首相になります。
保守党党首選では、レッドソムエネルギー閣大臣と女性同士の一騎打ちとなりましたが、レッドソム氏が失言にて撤退を表明したことで、9月に行われるはずだった保守党党首選なく、首相就任となりました。
それを受けて、テリーザ=メイ氏がビッグベン前で行った会見では、キリっとしたファッションがオシャレな印象でした。 

テリーザ=メイ氏とは、いったいどんな人物なのでしょうか?経歴とともに調べてみました。 

経歴

Theresa Mary May テリーザ=メアリー=メイ。
1956年10月1日生まれのイーストボーン出身。英国国教会の司祭であった父親の影響により政治家を志し、オックスフォード大学のセントヒューズカレッジに進学。
イングランド銀行で働き始め、1997年に下院議員となり、2010年のキャメロン政権化で内務大臣となりました。

結婚

1980年にフィリップ=ジョン=メイと結婚。2人の間には子供はいません。
フィリップ=メイは、1957年生まれのノーフォーク出身で、同じオックスフォード大学の学生の時に知り合ったそうです。アメリカの投資会社キャピタルグループ、バークレー投資銀行ドイツ銀行などでマネージャー職を歴任した経験があるそうです。

メイ氏は、25歳の時に両親を交通事故で失った時のことを振り返ると、「夫が大きな支えだった」と言い、おしどり夫婦として知られています。

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かなりのオシャレ

料理とオシャレが趣味。料理の本を100冊以上も使い、レシピを活用しているとのこと。また取材で「無人島に持って行くぜいたく品」を尋ねられた時、ファッション雑誌「Vogue」と答えるほどのおしゃれ好きだそうで、演説や記者会見などメディアの前にでる時のメイ氏のファッションをみると、よくわかる。

首相就任演説の時のウエスト辺りで切替が入ったツートンカラーのロングジャケットが目立っていますね。そして足元はヒョウ柄のパンプス。

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シンプルで品のある形のワンピースやセットアップに大き目のアクセサリーをコーディネートしたり、シックな色合いにワンポイントプラスカラーが映えるデザインであったりと、スラッとした長身に合うスタイルをしていますね。

 

政治政策

初期の政治キャリアでは、目立った活躍はなかったものの、キャメロン首相の下で内務大臣を歴任し、歴代最長の任期を務めた経験が政治家として地位を確立しました。
今までの政権下では、ビジネスに寛容政策、地方自治体の予算削減、移民問題への強硬政策、LGBT性的少数者)の権利擁護などが主な政策です。
移民問題では、国民投票残留派として動いていましたが、2010年に内相に就任してい以来、移民の年間増数を10万人以下にするという公約の実現を託されていました。

ただ、結果は、33万人という増減数だったようです。
イギリスでは同性同士の結婚も多いので、注目の政策の1つとなりますが、LGBT性的少数者)の権利に関しては、メイ氏が議員になった当時はLGBT権利拡大法案や同性婚カップルが養子を取ることを認める法案にも反対の立場でしたが、時を経るごとに、
LGBT問題に対して徐々に熱心になり、2013年には保守党議員として、同性婚を認める法律の制定に力を尽しました。 

連立内閣でのメイ氏の印象

当時の内閣の元副首相は「冷たい女」と評し、元閣僚は「マーシャム・ストリートの複雑怪奇な美女」、最近では元財務相ケン・クラーク氏は「ひどく難しい女」だと言っています。
これらのコメントからすると、テリーザ=メイ氏が強力な指導者としての才覚をもち、確固たる決意のもと突き進むやり手として認められているのではないでしょうか。

EU離脱で世界を揺るがしているイギリスを今後どうしていくのか。第2の「鉄の女」になるのでしょうか?

 

 

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